トランプ前大統領の暗殺未遂という事件が起きました。これに関して多くの人々が分析したり、議論したりして、いろんな情報が錯綜しています。最初はこれについて書くつもりはまったくなかったのですが、ちょっと思うことがあって書くことにしました。ただし、この事件に対する自分の意見を公表するつもりはありません。それをするのは私にとって重要なことではないですし、そもそも真実を知るすべはないので、どんな意見も究極的には推測の域を出ないからです。
私は、トランプが最初に大統領選に出てきた 2015 年か 2016 年頃から、メディアがかなりひどい嘘をついていることに気づき始めました。そして、トランプの大統領任期中からコロナ騒動を経て、さらにウイルスがいないことがわかってからは、さまざまな情報を疑うようになり、特にニュースはそのまま信じることはなくなりました。報道されている内容はすべて正しいとは限らず、特定の情報だけが捻じ曲げられて伝えられたり、まったくの嘘が伝えられたりすることすらある。そして、その裏に何かしらの意図がある。大きな目的の一つは、人々の感情を揺さぶることだと思っています。それがわかってくると、ニュースを聞くのもだんだんばからしくなり、今では自分からニュースをチェックすることはことはほとんどなくなりました。一応、ニュースを取り上げてオルタナティブの視点から解説してくれるポッドキャストを 2 つほど (遅れて) 聞くぐらいです。それでも、今回の暗殺未遂事件は大きな事件でしたし、それなりに興味を持って動画や記事をいくつか除いてみました。とは言っても、私がこういうときにまずチェックするのは、主流からかなり外れた端っこにいる人たち、オルタナティブの中でもさらにオルタナティブの人たちなんですけど…。それらを聞きながら自分なりの解釈にはたどり着きましたが、先ほども書いたように、真実はわかりませんから、その解釈も推測にすぎず、それが絶対だとも思っていないし、その考えにすがりついているわけでもありません。
これに関して、あまりにも多くの人が感情的になっていて、こんなにも意見が割れ、分断が起きているのに驚いています。今さら驚くことでもないのかも知れませんが、いろんな人が話しているのを聞きながら、冷静に話しているように見える人ですら感情が絡んでいるのが見えた気がしました。トランプはカリスマ性がありますから、彼を崇める人から嫌う人まで、その求心力は絶大なものがあります。それを考えれば、人々が感情的になっているのも当然なのかもしれません。でも、自分が直接知っているわけではない、メディアを通じて作り上げられたペルソナに、ここまで入れ込んでしまうというのはちょっと危ないような気がします。そして、この事件を、その人が持つトランプのイメージ、トランプに関して信じていることに基づいて解釈している。これも、書くまでもなく当たり前のことなのかもしれませんが、「事実」と呼ばれるものをすべて並べて、それらを総合的に見て客観的に判断を下すのではなく、信じていることに基づいて情報を取捨選択している。それが見えたような気がしました。
感情的になる事自体は悪いことではありません。感情があってこその人間だと思いますし、感情を押し込めるのは良いことだと思いません。感情は思い切り感じて昇華してあげたほうが良いと個人的には思っています。でも、感情的になると視野が狭まります。事実を冷静に受け入れられなくなることもあります。判断を誤ることもあります。だから注意が必要なのです。先ほども書きましたが、ニュース報道の目的の一つは、人々の感情を揺さぶることです。もしニュースを見て心が揺さぶられ、感情的になってしまったら、それはうまく乗せられてしまったということだとも言えると思います。そのことを認識しておく必要があります。
今回のような大きな事件は特に感情を揺さぶる力が強い。人間の本質なのかもしれませんが、人間はドラマ性のあるものに惹きつけられる傾向にあります。何か大きなことが起こるのを待ち望んでいるし、異常な状態にワクワク感を感じたりもする。そして感情的になって、感情的になることを楽しんでいるところもあるのかもしれません。それがうまく利用されてしまっているわけです。トランプは、その存在だけで人々が感情を煽られ分断していましたから (それも策略なのかもしれません)、その彼に関わるこのようなドラマ性の高い事件がこのような大きな効果をもたらすのも当然なのかもしれません。英語に hooked という言葉があります。hook には釣り針という意味があり、hooked は釣り針に引っかかったということ、それが転じて何かに夢中になったりはまったりすることを意味します。私には、人々がこの暗殺未遂事件という釣り針に引っかかり、捉えられてしまったように見えました。
何かが起きたときにどんな感情を持つかは、その人が何を信じているかによります。冷静に客観的に判断しなければいけないと言っても、本当の意味で客観的に判断することは不可能だと思います。誰でも、自分の信じていることのフィルターを通して世の中を見ています。情報を提示されたときに、その人の信念体系に沿ったものなら受け入れやすいし、沿っていないものなら拒絶してしまう傾向がある。コロナ騒動に関しても、ウイルスに関しても、事実を提示してもわかってもらえないのはこういうことだと改めて感じました。人間は必ず何かを信じて生きていて、それがその人の人格や世界観を形作っていると言えると思います。だから、それを壊すようなことを、人間は本能的に避けるのかもしれません。自分が信じてきたことと違う事実が突きつけられると不快に感じて、その不快さを避けるために見たこと聞いたことを否定する。信じる力は強いです。でも、その不快さを避けていたら、真実にはたどり着けないと思います。
こういうニュースを見たときに感情が刺激されたら、その感情をよく見つめてみると良いかも知れません。真実を見つける旅は、究極的には自分とは何かを見つける旅なのだと思っています。