今回のエピソードでは、映画『マディソン郡の橋』について話しました。ポッドキャストの中でも言いましたが、数か月前にこの映画を見直したときに、非常に心に響いたのでした。前回のエピソードに対して Discord でコメントをもらったのですが、それに母親の責任について書かれていたので、この映画のことを思い出したのだと思います。母親は、夫に対して、子供に対して責任がある、と思う人も多いでしょう。今でこそ離婚は (特にアメリカでは) めずらしいことではなくなっていますが、これは 1960 年代のアメリカの田舎で起きた物語ですから、離婚なんてもってのほかだったでしょう。映画の中で、既婚者と不倫した女性が地域の人から後ろ指さされたことも描かれていました。今のアメリカでは、社会が乱れている一つの要因として、離婚や未婚の母が増え、家族が崩れていることを挙げ、家族を大切にする伝統的な考え方に戻るべきだという意見もあります。そういう意味で、私が話したことに反論を持つ人も少なくないかもしれません。
私は昔から、社会のルールやモラルに疑問を投げかける質でした。だからといって、それを誰かに質問するとか、それに反発するようなことをしてきたわけではありません。でも、こんな風に海外に居着いてしまったのは、日本の暗黙の了解として受け入れられているルールを窮屈に感じていたところがあったのだと思います。アメリカに行ってしばらく経ったときに、そういうルールを気にしなくていいことに自由を感じたのを覚えています。また、人の行動として何が適切で何が不適切かについて、文化によってかなり違いがあることも経験しました。自分が日本人感覚で「こうしなきゃ」と思ったことを「なんで?」と聞かれたりすることもありましたし、日本を離れてから数年後に日本に一時帰国したときに、「こんなことされたんだよ、ひどいでしょ」と言う友達に、心の中で「そんなひどいかな」と思ってしまったこともあったりしました。「常識で考えれば…」なんてこともよく言われますが、そもそも「常識」は多くの人が「当たり前」と思っていることなだけであって、本当の意味で正しいと言えるのかも疑問です。
そもそも、何が正しいのでしょう? 絶対的に普遍に正しいことなどあるのでしょうか。
私自身、最近の人生の転換を経験する中で、いわゆるモラルに反する選択肢を選んだわけです。それもあって、映画の主人公のフランチェスカがロバートを選べなかったことを、とても切なく感じました。そして、彼女がロバートを選んでいたらどうなっただろうと、想像せずにはいられませんでした。何が正しいとか間違っているとか、そういうことを言うつもりはありません。でも、本当に自分に正直でありたいと思うのなら、社会のルールやモラルに反する決断をせざるを得ないこともあるのです。