自分が感情的だったことに気づいた話 (SaYo Says エピソード 8)

投稿者: | 2025-12-14

今回のエピソードでは、自分の性質について、自分が実は感情的な人間だったと気づいたことを話しました。これは自分の中では大きな発見でした。自分が論理的で冷静沈着、多少のことでは動揺しない人間だと思っていました。もちろん感情があることはわかっていたし、感情をきちんと感じてあげることが重要だということもわかっていました。でも、自分は感情に流されるような人間ではないと思っていたし、「感情的」という言葉が当てはまる人間であるとも思っていませんでした。おそらく私の周りにいる人も、同じように私を見ていたと思います。

ヒューマン・デザインについては、ポッドキャストを始めたことについて書いた記事でも触れましたが、自分のタイプ、権威、センターについて少し教えてもらっただけで、大きな意味がありました。特に、感情権威だと知り、感情がどれだけ自分にとって重要なものであるかを理解したことが、私の人生が大きく変わったことのきっかけの一つであったことは間違いありません。これによって、どれだけ自分が感情を抑えていたのかに気付かされました。特に悲しいと思ったり、人の言動に反応して泣きたくなってしまったり、イラついたりしたときには、そういう感情を持ってはいけないと思って、そう感じないように自分を変えようと努力してきていたのです。そうやって抑えていたものが一気に吹き出して、止めることができませんでした。それがなければ、人生をこれだけ大きく変えることはできなかったと思います。ちなみに、ヒューマン・デザインを知ったことは大きな益があったのですが、だからと言ってそれ以上に調べたわけでも、執着しているわけでもありません。自分を知るうえで役に立つ情報を得ただけです。最終的には、真の自分は自分で発見していくもので、何かのシステムで定義できるものではないと思っています。

自分のこういうところが嫌いだ、こういう性質が良くないと、一所懸命変えようとした経験は誰にでもあると思います。でも、そうやって自分が持っているものを抑えたり、隠したり、拒絶したり、ないふりをしたりしていると、それがいずれは戻ってきます。何かの形でそれを見せられ、体験するような状況が起こって、それを受け入れるまで、何度でもそういう状況が起こります。ある人間関係を抜け出したと思ったら、また同じような人間関係に陥ってしまうことがよくあるのも、そのためだと思います。これについては、アームン・リーの精神のモデルでも説明されているので、動画をまだ見ていない方はぜひご覧ください。

拒絶していた自分の性質を受け入れると、自分が楽になります。私は、感情的であったということ以外にも、自分の性質でいくつか気づいたことがありました。今まで自分が嫌だと思っていた性質でも、それを受け入れると、それを補うような対策を取り入れれば、問題とはならなくなるんです。たとえば、忘れっぽかったらこまめにメモを取るようにするとか、思い付いたときにやるようにするとか、そういう簡単なことです。「覚えられるようにしなきゃいけない」と無理に覚えようと訓練したりしなくてもいいんです。自分のどんな性質も、自分という人間を造っている要素であって、どれも自分にとって必要なものですし、それが必要な場面もあります。本来の自分を取り戻すためには、それらすべてを受け入れて、自分の中に統合する必要があると思うのです。誰か尊敬する人を目標として目指すことは悪いことではないと思います。でも、自分にない性質をあったらいいのにとうらやんだりするのは、自分を否定することになるのだとアームンに言われたことがあります。社会の中では、どういう人間が価値があるのかなどが、さまざまな形で伝えられ、それに見合わない人間はだめだというように思わされています。でも、人は一人ひとり違います。その個性を活かすべきなのです。特に日本は、同調圧力が強く、周りと違うことで叩かれたりします。私自身も、そういう社会で育ったことによる影響をひしひし感じています。その中で身に付けた制約からなかなか抜けられずにいます。でも、感情をきちんと感じることを許容できるようになったことで、少しは解放されたように思います。がんばって努力して自分を変えるのではなく、自分という人間が本当にどんな人間なのかを正直に見つめて、受け入れていく、それが鍵なのだと思います。

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