今回のエピソードでは、自尊心について話しました。エピソードの中で話しましたが、幼稚園の頃によく遊んでいた子が、私のことを嫌いだと言っていたという記憶があって、それが大きな影響を及ぼしたことは間違いありません。今となっては、本当にそういう話を聞いたのかすら確信が持てません。でも、おそらくその “記憶” を引きずっていたから、嫌われていると思っていて、それを感じさせるような態度を誰かにとられるのが嫌で、自分から人にアプローチすることができませんでした。友達に対してですらです。自分のような人間は好かれない、と勝手に決めていたわけです。それで逆に、人を嫌ってはいけないという思いも強くあって、クラスの中であまり友達がいなさそうな人を “助けよう” と努力したことすらあります。今思えば余計なお世話だったと思うし、そもそも自分が特に好きでもない人と一所懸命友達になろうとするなんて、不誠実だったと思います。
社会の中で、こういう風に振る舞うべきだとか、こういう人間に価値があるとか、そういうイメージが作り上げられていて、多くの人は自分はそれに至らないと思って生きているのではないでしょうか。でも、エピソードの中でも言ったように、私たちはこの世界に存在しているだけで、価値があるのだと私は思っています。この “価値” というのは、社会の中で役に立つとか、何かを達成したとか、人を助けたとか、そういう普通に社会で評価される価値のことではありません。説明するのが難しいのですが、もっと純粋な、もっと根本的なレベルでの “価値” です。ある意味、私が子供の頃に思っていた、「私が存在するという事実が誰かに影響を与えている、私がいなくなることですべてが変わる」というのは言い得ていると思います。私は子供の頃から、「バタフライ効果」という概念が好きで、本当に小さな変化が、世界のどこかでどんな変化を起こすかわからないと今も思っています。だからそういう意味では、私という存在自体が、この世界そのものに影響を与えているわけです。そういう純粋な “価値” があることを、私はどこかで知っているような気がします。特に何か理由があるわけではなく、純粋に喜びを感じる瞬間があります。そういう風に思える瞬間はまだまだ少なくて、自分の中に植え付けられている価値にとらわれることがよくあります。でも、それも自分の人生の道なのだと思います。そういう気持ちも受け入れながら、もっと純粋な “価値” を感じられるようになりたいと思っています。