「自分が自分の現実を創る」について思うこと (SaYo Says エピソード 5)

投稿者: | 2025-10-29

このエピソードでは、前回のエピソードでチラッと言った「引き寄せの法則」と、それに関連する「自分が自分の現実を創る」という概念について話しています。この概念は、私がかつてはまっていた考え方で、このウェブサイトでも複数回触れました。前回のエピソードで自分のスピリチュアリティに関する経歴を話しましたが、時間の関係もあり、「真実を追求すること」に焦点を置きたかったので、「自分が自分の現実を創る」については触れませんでした。でも、これを語らずに自分の今の考え方を語ることはできないので、こんなエピソードになりました。録音し終わってから、正直あまりよいエピソードではなかったかなと思いましたが、それなりに自分の考えは伝えたつもりです。でも、これに関してはもう少し言いたいことがあって、本当は次のエピソードで話そうかとまで思ったほどですが、このブログに書くことにしました。

私は「自分が自分の現実を創る」という概念に支えられてきたところがあるので、本当に最近までこれに「執着」していました。でも、この 1 年間の激動の変化を超え、いろんな考え方を見直していく中で、この考えにも疑問を投げかけないわけにはいきませんでした。そして、その「執着」からようやく抜け出したところです。「抜け出した」とは言っても、学んだことはたくさんあります。大きなのは、自分の現実で起こっていることが自分の内面を反映しているという考え、そして自分の人生に責任を持たなければならないということです。そういう意味では、「自分が自分の現実を創る」という考え方自体が間違っているというわけではないのですが、それに付随するものも含めて一緒にこだわっていたような気がします。具体的に言えば、この情報の基になっている「チャネリング」と、チャネラーがアクセスしたと言うことになっている高次の実体と言われるセスやエイブラハムなどの存在に対するこだわりです。エイブラハムについては、実際のワークショップでも「おや?」と思う瞬間が何度かあったりして、本当にチャネリングしているのかを疑問に思ったことはありました。エイブラハムの言葉とされるものを横に置けば、個人的にチャネラーのエスター・ヒックスのことがあまり好きになれなかったこともあったかもしれません。そういう意味では、エイブラハムからはかなり前に精神的に「卒業」していました。でも、セスに関してはもう少し思い入れが強かったんです。本を読む限り、ジェーン・ロバーツも夫のロバート・バッツも真摯な人に思えたし、セスの内容は人間の精神について深く語っていることもあって、「セスは本物だ」という思いがずっとありました。

エピソードの中でも話しましたが、コロナ騒動が始まってすぐに、セスの『The Individual and the Nature of Mass Events』を読み返しました。そのときは、ああ、やっぱりセスをもっと勉強したいという気持ちになったので、オンライン・コースも取ることにしたんです。でも、2021 年末にウイルスの存在議論を知ってからもう一度読み返してみると、ウイルスが物理的に存在しているかのように書かれています。セスは人間よりも「高次」にいる存在のはずなのに、ウイルスが存在するという前提自体に問題があることはなぜ指摘しなかったんだろう? それでもそのときは、所詮は人間がチャネリングしたわけだから、ジェーン・ロバーツの解釈に問題があったのではないかとか、セス自身も最高次の存在ではなく、見えてない部分があるのかもしれないとか、そんなことを思っていました。そうやって自分でセスのために「言い訳」を考えてあげていたわけです。最近になってやっと、セスについても再考することができて、ある意味手放すことができました。

昔から、たとえば死んだ人の霊と交信するとか、人間でない存在からメッセージを受けるとか、そういう話はよくあったと思います。キリスト教の預言者が神から啓示を受けることもそれに似たものがあるかもしれません。エドガー・ケイシーなんかも有名です。日本でも、霊媒師やチャネラーと呼ばれる人は人気があると思いますし、霊能力や超能力に憧れる人もいると思います。私もかつてはそうでしたし、超常現象を完全に信じていました。だからといって、今そういうものを完全に否定しているわけではありません。この世の中では不思議なことがたくさん起こりますし、人間にいわゆる超能力と呼ばれるものがあってもって不思議ではないと思います。でも、それと同時に、こういうものを利用して人を騙すこともできないわけではないし (実際に騙す人もいると思うし)、そうでなくても、人間は頭の中でいろんな精神状態を作り出すことができるという事実もあります。高次なり霊界なりに、人間には知りえない叡智があって、それにアクセスできるのは特別な能力がある人だけだという考えがすでに植え付けられていなかったでしょうか。普通の人間にはそんな叡智はないというような。そして、そういう特別な人が高次にいる霊なり実体なりにアクセスして得たとされる情報は、自動的に優れているかのように思わされていないでしょうか。いわゆるチャネラーと言われる人々の中には、おそらくチャネリングしているふりをしている人も少なからずいるとは思うのですが、本当にチャネリングしているんだと信じている人もいると思います。瞑想状態なり、トランス状態なりに入って潜在意識にアクセスすることで、何らかのひらめきがあったとして、それが自分の内から出てきたものだとは信じれず、高次にいる実体が自分を介して話しているのだと思い込むこともあり得るような気がするのです。たぶん誰でも、何かのきっかけで「ああ、そうだったのか」と何かを悟った経験はあるのではないかと思います。そういう風に「知る」力は人間に確実にあります。アーティストには、潜在意識にアクセスしてインスピレーションを得る人もいるのではないでしょうか。小説を書いたりする場合でも、「自分が書いたわけではなく、何かが自分を介して書いたんだ」というような表現をする人もいます。でもそれを、人間の外にある、別の実体に当てはめる必要はあるでしょうか。

人間は罪深い存在であるとか、無知であるとか、そういう考え方が宗教や哲学などを通じて、私たちの中に植え付けられているような気がします。でも、私の今の考え方では、人間は計り知れない力を持っていて、私たちそれぞれが直接叡智を得ることができると思っています。すべては自分の中にあるのです。もちろん、みんなが同じものを得られるわけではなくて、それぞれの視点からそれぞれの叡智を得る。自分自身の潜在能力を発揮すればいいわけです。

ジェーン・ロバーツが真摯だったかどうかは、わかり得ません。もしそうだったとしたら、彼女がセスから得た情報というのは、彼女自身が彼女自身の中から得た情報なのだと思います。その中にはすばらしい内容もあるし、理屈に合わない内容もあります。そこから学ぶことがあれば学べばいいわけです。でも、「高次から来た情報だから真実であるはずだ」というような思い込みは、捨てたほうが良いと思います。どんな情報も、自分自身で見極めていくしかありません。

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