先日、アームン・リーのポッドキャスト Pro.Gnosis にゲスト出演しました。英語のポッドキャストですし、字幕を付ける予定もとりあえずないのですが、興味のある方で英語のわかる方は聞いてみてください。英語で喋るとどうもとちってしまうのですが、その辺は目をつぶって聞いてやってください。
アームン・リーの Pro.Gnosis には、その前の寝起きの考察さんがゲスト出演したエピソードに通訳として参加しました。そのずっと前からゲストとして出演して欲しいとは言われていたのですが、ようやく覚悟ができたというわけです。アームンとは Essensei (Essense (真我) と「先生」をかけ合わせた言葉) というポッドキャスト・シリーズも少し前に始めていましたし、「覚悟」というほどでもなかったのですが、公の場で自分の人生について話すのは初めての経験でしたから、録音を始めるまではそれなりに緊張していました。でも話し始めると、しゃべることはそれなりに出てきましたし、自分の思いを口にして誰かに語ることの力を感じ、終わった後は爽快な気持ちになりました。それにしても、少し前までは自分がこんな風にポッドキャストに参加するようになるとは夢にも思っていなかったので、人生、本当に何が起こるかわからないものですね。
上記のリンク先の記事にも少し書きましたが、私の人生はこの 1 年の間に大きく変わりました。出演したポッドキャストでは、その変化について語っています。私は、二十代の頃からすでにいわゆる「普通」の生き方から逸脱した人生を送ってきました。今の時代、外国に住むことは別に特別なことではありませんが、それでも、就職してからわりとすぐに、この仕事をこのまま続ける素養は自分にはないし、自分の歩きたい道ではないと気づき、自分が本当にしたいことは何だろうと考えて方向転換したことが、今回のような変化を選ぶことができた下地になっていたのかもしれません。でもさすがに、この歳になって、再び海を超え、言葉もまったくわからない国に引っ越すことになろうとは…。まったく予想外の展開で、今考えてもよくやったなと自分のことながら思います。でも今回の人生転換も、二十代の頃の人生転換と根本となる動機は同じでした。「今歩いている人生の道をこのまま歩き続けることはできない」という思いです。だからと言って、そのときの人生の状況を抜け出そうとまでは考えていなかったし、そんなことができるとも思っていませんでした。でも、その気持ちを認識したことで、自分の中で何かが動いたのかもしれません。そして、真実を追求したいという気持ちの赴くままに、世の中の嘘を調べていっただけ。でも、この「気持ちの赴くままに」やるということが重要だったのだと思います。どんな小さなことでも、行動を取ることが変化を生みます。その行動がどんな結果を生むのか、行動を起こした時点ではわかりませんが、それでいいのです。自分の心がワクワクを感じるようなことをやっているうちに、不思議なことが起こったりします。シンクロニシティをよく目にするようになります。そして、自分がまったく想像すらしなかったチャンスが訪れたりするのです。世の中で「正しい」とは思われていない行動でも、それが自分にとって「正しい」ことであるなら、自分の深い部分から出てきた直感やひらめきに従った行動であるなら、やるべきなのだと思います。そうすることで、本当の自分として、真我が意図した生き方に近づけるのではないかと思います。
このように大きな人生の転換を経験する中で、私がこのサイトや Odysee のチャンネルで発信していきたい内容も変わってきました。以前はほぼすべてがウイルス関係の内容でしたが、この内容はもう私がやる必要はないと思うようになりました。ウイルス関係の内容が重要であることは変わらないし、興味がなくなったわけではありませんが、私なんかよりずっと勢力的に発信する方も複数いるようなので、去年の後半ぐらいからだんだんそんな気持ちになってきていました。実は去年、ウイルス関係のあるプロジェクトに関わっていたのですが、そんな気持ちの変化を感じるようになったころに突然、それを手放さざるを得ない状況になってしまったんです。もちろん、それは非常にショックだったのですが、それと同時に解放されたような気持ちになったのも事実です。このプロジェクトは私がやるべきものではなかったんだと、そのときはっきり認識し、ウイルス関係の内容をはもうやらなくていいと、自分の中で手放しました。そして、自分が躊躇していた内容も発信していこうと決めることができました。この間出した『September Clues』の字幕版がその例です。とはいっても、どんな内容を取り上げていくかについて、ガチッと決めてしまっているわけではありません。そのときそのときに自分が興味を持ったもの、やりたいと思ったものをやっていくつもりです。この方向転換で、これまでフォローしていた人が離れていくかもしれないことは十分に承知しています。でも、たとえ誰も見てくれる人がいないとしても、それでいいのです。もちろん、視聴回数が増えれば嬉しいですが。フォロワーを得たり、視聴回数を増やすためにやるのでは、本末転倒です。先ほど書いたように、「気持ちの赴くままに」やっていくことが、自分の進んでいく方向なのだと思っています。
新しい生活はまだまだ始まったばかりで、新しい環境に馴染むのにもそれなりの時間がかかると思います。でも、環境に慣れることよりも何よりも、自分のあり方や考え方を変えることを余儀なくされている気がします。これまでの人生で癖になってしまっていた考え方は、たびたび湧き上がってきて、それに付随して感情が乱れたりすることもあります。そういうものを一つ一つ、一歩下がって観察し、それらが本当に自分の考え方なのか、人生のどこかで社会から植え付けられたものなのかを、吟味することを求められている気がします。本来の自分とは何なのかを見つけて、本来の自分として生きていきたいというのが今の望みです。それはある意味、自分でないものを取り除いていく作業のような気がします。そうすることで少しでも、本来の自分に近づけて行けたらと思っています。
This essay deeply resonates with me. The courage to change paths at any age and follow ones heart is truly inspiring. The authors journey and philosophy about authenticity are profoundly moving.
Thank you very much for your comment! I am glad that my story touched someone. 🙂