今回はこれまでとまったく違った内容で、「何だこれ?」と思われた方もいたかもしれません。以前から、いずれ自由については取り上げたいとは思っていたので、この動画はいいきっかけだと思い、訳してみました。この動画が YouTube に公開されたのは 2012 年なので、もう 10 年以上前のものですが、私がこれを初めて見た (正確には聞いた) のは、ごく最近のことです。あるポッドキャストの古いエピソード (2017 年のもの) を聞いていたら、これが流れたんです。衝撃を受け、背筋が寒くなりました。そのポッドキャストではこれについて何の説明もなかったので、これはどこから来たものなんだろうと思っていました。それから 1 週間も経たないうちだったと思いますが、今度は別のポッドキャストの、またしても古いエピソード (2012 年のもの) を聞いていたら、そこでも流していたんです。それで Larken Rose という人の The Jones Plantation という動画だということがわかりました。調べていたら、今年 (2023 年) に映画が作られたとのこと。Odysee でフォローしていた人が、Larken Rose がその映画についてインタビューを受けていた動画を上げていたのも見かけました。こんなに偶然が重なったのも縁かなあと思います。
みなさん、この動画を見てどう思われたでしょうか。
この動画の内容に関して私の個人的な意見はあえて書かずにおきます。でも、自由とは何なのかを真剣に考えて欲しいと思うのです。日本人は、自由についての考え方が「薄い」ように思うのです。というか、「自由」というものについて考えることなんておそらくないと思います。「民主主義」の国に住んでいるんだし、特に行動を束縛されているわけでもないし、普通に自分の好きなことをできるし、当たり前に「自由」だと思っていると思います。でも、コロナ騒動で見たように、当たり前と思っていた「自由」がいとも簡単に奪われることもあるわけです。私はアメリカに住んでいますが、アメリカではコロナの規制に対する反発や抵抗が結構あったように思います。マスクやワクチンの義務化が一部でかなり厳しく行われましたが、それに従わずに逮捕されたり罰金を受けたりした人もいたようですし、ワクチンを拒否したために職を解雇された人も多数いました。それに関して裁判を起こしている人も、それを助けている弁護士もそれなりの数いるようです。個人の自由について話す人もたくさん出てきました。アメリカは自由の国と言われるだけあって、自由の精神が根強いように思います。日本では、私の知る限り、マスクにしてもワクチンにしても「義務化」はなかったと聞いていますが、ほとんどの人が従っていました。それが「当たり前」で、従わないという選択肢を考えることすらしなかった人もいたと思います。「自由を奪われた」という感覚すら、あまりなかったかもしれません。今だけだけから、ちょっと我慢して従っておけばいい、そう思った方も多かったでしょう。もちろん、それに反する声はあったと思いますし、がんばって活動していた方もいたと思います。それでも、周りがみんなそうしているんだから、自分もそうしなければいけないという空気、それを乱してはいけないという空気は、日本ではとても強かったと思います。
動画の最後で紹介されていた『The Most Dangerous Superstition』 (最も危険な迷信) という本では、「最も危険な迷信」は権力への信奉だと言っています。この場合の「権力」というのは具体的には「政府」のことを指しています。社会には政府が必要で、政府が法律を制定し、それを行使することは正当なこと。政府がなければ、社会の秩序は守られず、混乱状態になる。そして、法律を守ること、そして政府 (権力) に従うことが正しいことであり、従う人が立派な人だ。一般的に、そのように考えられています。Larken Rose はそれが「最も危険な迷信」だと言っています。そして、危険なのは権力を持って支配する人ではなく、権力に従う人々だと。動画の中でいえば、サミュエルがムチに打たれるのを歓声をあげて見ていた人々のことです。私はまだこの本のさわりの部分しか読んでいないのですが、非常に共感するものがあります。
「自由」というと、「身勝手」とか「わがまま」とか思う人もいるかもしれません。何の制約もなく自由にしていいと言われれば、人は勝手なことをして、社会の秩序というものがなくなると。「そういう風に思わされている」と言っても過言ではないかも知れません。でも、「自由」と「身勝手」は別のものだと私は思っています。本当の意味で自由であるには、自分が自由であると同時に、周りのすべての人々の自由も尊重しなければなりません。誰かがわがままを言い、人にそれを強要したとしたら、それは独裁です。わがままを言っている人だけが「自由」で、他の人は自由を奪われているわけですから。でも、みんなが自由である状態では、そういうわがままな人がいたとしても、そんなわがままに従って言いなりになる必要はありません。みんなが「自由」とは言っても、みんな意見が違うわけですから、社会の中で一緒にやっていくためには、もちろん折り合いを付ける必要がでてきます。お互いが譲歩し合って、双方が合意できるやり方を見つけることになります。譲歩してまで一緒にやりたくないと思うなら、その人とはやらずに、別の人を選ぶとか、そういう選択の自由があるわけです。そして、自由であるということは、責任も伴ないます。自分自身が自由意志で選択し、もしそれで失敗したり、自分の思うような結果にならなかったとしたら、その責任は自分で取らなければなりません。本当の意味で自由であるということは、そういうことだと思います。
今の社会では、徐々に個人の自由が奪われています。そして私が一番危惧しているのは、思考の自由が奪われてきていることです。ソーシャル・メディアなどの検閲だけではありません。メディア (特に主流メディア) から発信される情報によって、人々がある特定の方向に誘導されているように思うのです。これが正しい、こう考えるべき、それに反論する人は危険人物、というようなメッセージが伝えられ、人々が自分の考えや感情を否定するように促され、自分の判断は正しくない、判断は政府や専門家に任せるべき、と思い込まれているように感じます。それは、私たちの思考の自由を奪うものです。それに気づいて欲しいと思うのです。自分が「当たり前」と思っていることは特に、吟味してみる必要があります。
いつも有益な動画をご提供、ご紹介頂き、ありがとうございますm(_ _)m
今回の動画、私も以前見たことがあります。改めて拝見し、本当に示唆に富む動画だと思いました。
この動画の私における示唆とは(これは管理人様のご意見とは全く相反すると思いますが)以下の通りです。
・人は「自分において不便な束縛」は嫌だが、束縛全般を拒否している訳ではない、むしろ、束縛すること、されることを望んでいる部分があること→そもそも何かを得る(「学ぶ」も含む)ためには私も含め「まずは従う」が前提で、「不便と感じる」のも、まずは従った上でないとその不便さは理解できないから当たり前ですが。あと、フロムの「自由からの逃走」(チョー古典(苦笑))みたいな心理や、「自分と異なる(自分にはできない行動や発言をする)人を排除したい」という、原始的で下卑た心理もあると思います。
・従って「自由を束縛する」心理や構造は、いわゆる政治権力だけの問題ではなく、人間一般の問題であること(日本では同調圧力という言葉が一時流行りましたが、それは外国でも同様かと)
・そもそも「自由」とは、個別具体的な「束縛」に対する対義語でしかなく、むしろ、この抽象的な言葉自体に意味を持たせて論じる、追求すること自体が「権力」が用意した罠に過ぎないかもしれないこと(そういや、昔「愛とは何か?」を論じることが流行りました(笑))
私はいわゆる反ワクwで、管理人様と同様、近年の社会の不自由さを痛烈に感じている者ですが、これを「自由を論ずる」観点から考えるのではなく、「なんか、息苦しくてホントにウザくて嫌なんですけど…所詮、お互い欠陥のある人間同士じゃないですか?」というスタンスで反対しています。
通りすがり様
示唆に富むコメントありがとうございました! このような意見の交換は私にとってとても貴重なものなので、感謝いたします。
私の意見は「全く相反する」ものではないですよ。逆に、共感するものがあります。「自由」のような概念について語るのは、そもそも難しいですよね。人間には、支配したい欲求と支配されたい欲求の両方があると思っています。1 対 1 の関係から、どちらかが「主」、どちらかが「従」という構造が生まれてくることが多いですよね。そうでなければ、社会がこういう風になることもないでしょうから。何かを学ぶため、というのも、そういう側面は必ずあると思います。私は 1 人 1 人が経験することはすべて何かを学ぶためだと思っていますが、そういうことを語りだすと魂のレベルの話になってしまって、まだうまくそれを文書化できるほど自分でも考えがまとまっていないところがあります。3 番目の点は、考えてみませんでした。それはあるかも知れませんね。対立構造を生みだす議論ですしね。
貴重なご意見、本当にありがとうございました。これからもご支援よろしくお願いします。
経営コンサルタントとは、まさにスミス氏のような人を指すのではないでしょうか。つまり資本家の代理人です。彼は労働者をだますことによって利益を得ているのですから、資本家より悪質な詐欺師だと言えます。私は資本主義が悪いと言っているのではありません。資本家がいなければ必需品の生産ができないでしょう。悪いのは資本主義を悪用する人たちです。資本家にもっと儲けようとそそのかす連中が悪いのです。つまり銀行、証券会社など金融機関だけでなくスミス氏のような経営コンサルタント、そして経営学者たちです。学者は無害なように見えて、「経営学」などと実態のないものをでっち上げてスミス氏のような人たちにお墨付きを与えているのです。ジョーンズ氏の農園は、現代の企業にも通じるものがあると言えるのではないでしょうか。
コメントありがとうございました! 返信がすっかり遅くなってすみません。
まさに、おっしゃるとおりで、現代の企業にも通じるものがあると思います。どんなシステムもツールも、必ずといっていいほど悪用する人がいて、それを補佐するような人も出てくる、そして搾取されている方は搾取されていることにすら気づかない。少なくとも、その構造に気づくことは必要なのではないかと思っています。